葬儀はエジプトで行なわれるようだ。米国は国務次官補が参列するらしい。日本は?
8日午前7時16分、水上勉さんが肺炎のため長野県東御市の仕事場でなくなりました。
85歳。
葬儀は家族のみの密葬で行うそうです。
福井県で生まれた水上さんの、本格的デビューは61年に直木賞に選ばれた「雁の寺」から。「飢餓海峡」では社会派推理小説の旗手の一人として注目され、谷崎潤一郎に絶賛された「越前竹人形」をはじめ、「五番町夕霧楼」「越後つついし親不知」など女性の宿命的な悲しさを描いた代表作を発表、哀切に満ちた独特の叙情的作風で多くのファンを得ました。
その後、「宇野浩二伝」(菊池寛賞)「兵卒の鬣」「北国の女の物語」(2作合わせて吉川英治賞)「一休」(谷崎潤一郎賞)「良寛」(毎日芸術賞)「金閣炎上」「寺泊」(川端康成文学賞)などの作品で次々と新生面を開き、文学的円熟を示したということです。
86年には幅広い業績に芸術院恩賜賞が贈られ、88年、芸術院会員、98年には文化功労者に選ばれてもします。
映画「五番町夕霧楼」「越後つついし親不知」などでヒロインを演じた女優の佐久間良子さんは、
「私の東映時代の大切な財産を作って頂きました。先生は繊細で情のこまやかな方でした。お酒がお好きで、撮影前の晩に一緒に飲み、先生の作品に対する思い入れを熱心に話してくださった。優しい姿がいまでも目に浮かびます」
と死を悼んだそうです。
山本迪夫さん71歳(やまもと・みちお=映画監督)23日、肝臓がんのため死去。
葬儀は近親者で済ませた。
後日「お別れ会」を開く予定。
自宅は東京都目黒区自由が丘****。喪主は妻淑子さん。
67年、助監督として、「日本のいちばん長い日」
デビューは、69年の「野獣の復活」。
主な作品に、「悪魔が呼んでいる」(1970)、 「呪いの館 血を吸う眼」(1971) ・・・
テレビドラマに、「俺たちの勲章」(1975)、「本当にあった怖い話」(1992) 、「学校の怪談 春のたたりスペシャル」(1999)・・・など。
「荒野の七人(1960)」「大脱走(63)」など数々の映画音楽を生み出し、「ハリウッド映画音楽の巨匠」と称されたエルマー・バーンスタインさんが18日、カリフォルニア州オーハイの自宅で死去した。
82歳。
主な作品には「十戒(56)」「成功の甘き香り(57)」「アラバマ物語(62)」「勇気ある追跡(69)」「ゴーストバスターズ(84)」「エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事(93)」「ギャング・オブ・ニューヨーク(01)」などがある。
22年、ニューヨーク生まれ。
50年にハリウッドに移ってから、50年間以上も映画音楽を作り続けた。
02年の「エデンより彼方に」を含め、14回もアカデミー賞候補となった。
しかし、実際に受賞したのは、「モダン・ミリー(67)」だけだった。
バーンスタインさんは最近体調を崩しており、睡眠中に息を引き取ったという。
大往生である。
田原節子さんが13日、多臓器不全のため死去。
67歳だった。
葬儀は21日午前11時、東京都中央区築地3の15の1の築地本願寺第2伝道会館。
連絡先は同区佃1の11の3の1309の田原事務所。喪主は総一朗さん。
1936年東京生まれ。早稲田大学文学部卒業後、日本テレビに入社。
結婚・出産を経てアナウンサーとして17年、CMプロデューサーとして10年勤務した後退社。
89年田原総一朗と結婚。現在、田原事務所代表を務める。
乳がんを中心に医療、そして女性問題をテーマに各方面で執筆講演活動を行っている。
98年10月に炎症性乳がんを発症、再発転移で抗がん剤治療等に取り組み、満5年生存を超えた。
昨年、総一朗さんとの出会いを2人でつづった「私たちの愛」を出版した。
「僕は君が死んだら、すぐに後を追うよ!」 出会い・離婚・再婚の27年。「常在戦場」と言い切り、ガンと闘いながら生きる老年の壮絶なる「愛」!
とある。
娘の田原敦子(プロデューサー)によると・・・、
「当時、バレていないと思ってたのは父親だけで(笑)。私が、中学・高校生ぐらいのときは、家族はみんな知っていたんです。ただし、それで家の雰囲気が悪かったということはなかったですね」