1948年6月19日
山崎富栄とともに玉川上水に入水。
38歳。
美知子夫人宛
「皆、子供はあまり出来ないようですけど陽気に育ててください。
あなたをきらいになったから死ぬのでは無いのです。
小説を書くのがいやになったからです。
みんないやしい欲張りばかり 井伏さんは悪人です」
友人宛
「簡単に解決可、信じ居候。
永居するだけ皆を苦しめ
こちらもくるしく、かんにんして被下度。
子供は凡人にてもお叱りなさるまじく。
筑摩 新潮 八雲 以上、三社にウナ電」
元首相・田中角栄の秘書から政治評論家と転身した早坂茂三さんが20日、肺がんのため東京都内の病院で死去した。
73歳。
通夜・葬儀は未定。
自宅は東京都目黒区平町***。
早坂さんは55年、早大卒業後、東京タイムズに入社。
政治部記者として活躍中の62年、蔵相だった田中氏の秘書に就任。72年の田中政権誕生で政治担当の首相秘書官を務めた。
85年、田中氏が病に倒れた後、その療養や政治活動のあり方をめぐり田中家側と対立。これをきっかけに政治評論家に転身した。
転身とはいえるかどうか、結局は田中氏の政治的足跡や生き方をテーマにした著書を複数出しつつ、秘書としての『経験』をいかしながら、テレビなどでわかりやすい口調で政治を論評していた。
主な著書に「駕籠(かご)に乗る人 担ぐ人-自民党裏面史に学ぶ」「政治家 田中角栄」「政治家は『悪党』に限る」など多数ある。
伊藤演劇研究所所長の伊藤正次さんが、19日、死去。
膵臓ガンだった。
葬儀は22日午後1時半、東京都港区赤坂1の14の3の霊南坂教会。
自宅は渋谷区西原***。喪主は妻慶子さん。
「私は貝になりたい」(TBS)などドラマ、映画に出演。
主宰する伊藤演劇研究所では、多くの俳優を育ててきた。
とくに、女優が目立つ。
樋口可南子さんや賀来千香子さんらの演技指導にもあたったという。
17日、峰純子さん(本名・石塚純子)が肺がんのため死去。
58歳だった。
葬儀は未定。
自宅は東京都品川区東五反田*****。喪主は長男石塚信孝さん。
1999年度の日本ジャズヴォーカル大賞を受賞した。
写真は、その当時の12月12日に中野坂上、ハーモニー・ホールで開かれた彼女のディナー・ショーのスナップです。
作家の松下竜一さんが17日午前4時25分、肺出血の出血性ショックのため死去した。67歳だった。
葬儀は近親者のみで行い、後日「偲ぶつどい」を開く予定。
自宅は大分県中津市船場町***。
松下さんは、自伝的作品「豆腐屋の四季」や、反権力を貫く人々を描いたノンフィクション、ミニコミ誌「草の根通信」の発行などで知られている。
大分県中津市生まれた松下さんは、家業の豆腐屋を継ぎ、厳しく貧しい青春の日々を、短歌とともにつづった「豆腐屋の四季」(69年)でデビューした。「豆腐屋の四季」は、テレビドラマにもなり、話題を呼んだ。
70年から作家に専念。
73年、「環境権」を掲げて豊前火力発電所の建設差し止めを求め、市民らと計7人で提訴。代理人なしの本人訴訟としても注目された。
85年には最高裁で敗訴が確定したが、運動の機関誌「草の根通信」は発行し続け、市民団体の交流の場となった。
96年には、清貧な生き方を軽妙につづったエッセー
「底ぬけビンボー暮らし」を著した。
「豆腐屋の四季」のテレビドラマで主演した俳優の緒形拳さんの話
昨年、全集刊行のお祝いで自宅にお邪魔して「豆腐屋の四季」のビデオを一緒に見ました。私が松下さんに似ていると話題になりました。「著作を映画化しましょうよ」と言うと「難しいよ」と応えていました。まだまだこれからなのに残念です。